私の大好きな小説である塩野七生さんの『ローマ人の物語』

今回は、文庫第8巻のレビューをお届けします。

 

紀元前100年、ローマの貴族の家に一人の男児が誕生した。その名はユリウス・カエサル。共和政に幕を引き、壮大なる世界帝国への道筋を引いた不世出の創造的天才は、どのような時代に生まれ、いかなる環境に育まれたのか。古代から現代までの、歴史家をはじめとする数多の人々を魅了し続けた英雄カエサルの「諸言行」を丹念に追い、その生涯の全貌を鮮やかに描き出した、シリーズの頂点をなす一作。

 

人は見たいものしか見ない

ユリウス・カエサル
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(まえがき)

これにコメントをつけられるほど、私は大人ではありませんが、考えれば考えるほど、深い言葉だと思います。これを言ったのが、二千年前の人であると思うと、天才だと思わざるをえません。

心理学に関係する本を読むなかで、「事実なんてない。あるのは認識だけだ」だとか、「何を現実と思うかによって、成果は変わる」だとか、知識として学ぶことはできます。

でも、そう思っていながら、自分自身も、「見たいと欲する現実しか見ていない」のは同じです。ときどき愕然とすることがあります。

自分の見方と、他の人の見方が食い違ったとき、往々にして、「あの人の見方が間違っているんだ」と考えてしまいがちなのが悲しいところですが、一歩踏みとどまって、「自分も相手も、見たいと思っているものを見ているだけだ。相手は何を見ているんだろう」と考えることができる余裕を持っていたいものだと思います。

元老院は、ローマの政体では唯一、選挙の洗礼を経ない人々で構成される機関である。王政時代には王に助言する一門の長たちの集まりであったことから、共和政に移行した後でも、勧告機関ではあっても決定機関ではないのが伝統になっていた。だがそれも、大国カルタゴとの間で闘われたポエニ戦役時代に実に見事に機能したおかげで、その後もなお、決定機関の色彩は強まりこそすれ弱くはならなかったのだ。(p153)

元老院は、もともと助言をする機関でした。

ところが、ポエニ戦争という非常事態に直面し、それを乗り越えるために、元老院が助言を越えて、決定を下すようになります。

それが、見事に機能したおかげで、ローマはポエニ戦争に勝つことができたわけですが、一度、助言を越えて決定機関になってしまったものが、もとの助言機関に戻るということは、やはり難しい。

そして、ポエニ戦争のときには機能したものが、領地の拡大にともなって、機能しなくなって、ローマは迷走してしまいます。

一時期上手く機能したものが、現状に合わなくなったにも関わらず、「上手くいっていた」ということを理由に、変化を拒む。

「かつて上手くいっていたもの」ほど、今もそのままでいいのかどうかを問い直さないといけない、と考えさせてくれる好例です。

 

処女作にすべてがある

われわれ後世の者に遺されているカエサルの発言の中で、これが”処女作”になる。処女作にその後のすべての萌芽があるとは作家に対してよく言われることだが、それは作家にかぎらないのではないか。(p177)

「処女作にその後のすべての萌芽がある」

だとしたら、自分の「処女作」を形にして残しておくことは、とても大切なことじゃないかと思います。

迷ったとき、自分の目指すものを確認するために。

初心を忘れそうなとき、戻るべき場所を作っておくために。

ブログのような形で公開するのが一番いいと思うのですが、手元でEvernoteなんかに取っておいてもいいでしょう。

いずれにせよ、何らかの形で「処女作」を取っておくことで「戻るべき場所」を作っておく。そういう工夫も、長い旅に出る前には必要なことかもしれません。