こんにちは。コーチ萩貴史です。

今回は、夢を叶えたい人が陥りがちなワナについてお話します。

大前提として、僕は夢を叶える生き方はとってもステキなものだと思っています。

自分もそう生きたいと思っているから、このブログのタイトルも「夢とらしさで遊びたい」です。

けれど、夢を叶えたいと思う人が陥りやすいワナがある、と感じます。

僕自身、かなりどっぷりとそのワナにはまっていたこともあります。

本題に入りましょう。

夢を人質に取られる

結論から言うと、そのワナとは「夢を人質に取られる」こと。

ときどき、こういうことを言う人がいます。

夢を叶えたいなら、今つらいのに耐えろ。

今は成功している人たちだって、最初は違ったんだ。

彼らも苦しい時期があった。

けれど、そこで歯を食いしばって耐えたから今があるんだ。

夢を叶えたいのなら、これくらいの困難、耐えてみせろ。

耐えられないなら、どうせ夢なんて叶えられっこない。

こんな話、どこかで似たようなの聞いたことありませんか?

「夢を叶えたいなら」の部分を、ちょっと別の言葉に言い換えたバージョンもあります。

例えば、「成長したいなら」とか「どこに出ても通用する人材になりたいなら」とか。

…なんだかブラック企業っぽい香りが漂いますね。

夢を叶えるための代償は

彼らは「夢は、我慢や苦労の末に叶えるもので、今お前は苦労するべき時だから苦労しろ」と言っているわけです。

確かに、夢を叶える途中で、我慢することも苦労することもありますよ。

ゼロってことはありません。

けれど、それって人から強要されるものじゃないですよね。

人から「夢のために苦労しろ」と言われているシチュエーションは、夢を人質に取られて身代金として「我慢や辛い努力を支払え」と言われているのと同じです。

「頑張る」の2つの方向性

じゃあ、夢を叶えるために苦労や努力は不要なのか?

いや、それも極端でしょう。

実際に夢を叶える人は、ものすごい時間を「夢」に投下しています。

それを「努力している」と言うのか「好きだからやっている」と言うのか「夢中になってるだけ」と言うのか、表現の違いはありますが、自分の時間をそのために費やしているのは間違いありません。

ただ、夢を叶えた人たちが語る「努力」って言葉を、「つらい我慢をしなければいけない」と解釈するのには疑問があります。

努力には2つの方向性があるからです。

一つは、「自分の好きなことを突き詰める努力」。

もう一つが、「人からの評価を上げるための努力」。

ちょっと単純すぎるかもしれませんが、話を分かりやすくするために、今回はこの2択で話をすすめましょう。

僕のはまっていたワナ

僕はずいぶん長い間、思い込みがありました。

  • 夢を叶えるにはまず人並み以上に仕事ができないといけない
  • 最低限の実績を積んで認められなければ、夢なんて語っても笑われるだけだ

だから、「まずは人から認められるくらいの実績が必要」で「その後に、自分の夢を追いかける」んだ、と。

素直にそう思っていたんですが、次第に疑問を感じ始めます。

「人から認められる」って何だ?

どこまでいったら「これで十分」って言えるんだ?

当時の僕が思っていた「努力」というのは、「人の評価を上げるための努力」でした。

例えば、受験から就活から出世まで、全部そう。

受験でみんなが知ってるような学校を目指す。

就活でみんなが賛成するような会社に入る。

会社に入ったら入ったで、同期の中で抜きん出る。

同期から抜きん出たら、同世代の中で。

以下、延々無限ループ。

どこまでいっても終わりがない、「出口のない迷宮に入り込んでいる感じ」です。

誰かが作ったルールの上で、勝つために努力する。

他の人が「必要スペック」を定義して、その「型」に自分をはめ込んでいくような努力。

自分が「もう疲れた、やーめた」って言っても、猛烈な勢いで他の人が「その空いた場所」を埋めてしまう。

そして、何事もなかったかのように世界は動きつづける。

僕はそんな生き方に疑問を感じたんです。

オリジナルになるための努力

一方、「好きを仕事をしている」ように見える人は、人からの要望に応える努力よりも、自分の心から出てくる「やりたい」に忠実に動いているように見えました。

自分の好きなことを突き詰める努力。

もっと自分らしくあるための努力。

それを突き詰めていったところに、そのオリジナリティを他の人が評価する。

「その人」を中心に場ができ、仕事ができていくのを何度も目の当たりにしました。

すべてのものは二度作られる

ここまでお話ししてきたことを、少し別の観点から見てみましょう。

自己啓発書の古典『7つの習慣』に、こんなフレーズが出てきます。

「すべてのものは二度作られる」
すべてのものは、まず頭の中で創造され、次に実際にかたちあるものとして創造される。第一の創造は知的創造、そして第二の創造は物的創造である(p120)

第一の創造を行えるようにならななければ、(中略)家族や同僚から押しつけられる脚本どおりに生き、他者の思惑に従い、幼い頃に教え込まれた価値観、あるいは訓練や条件づけによってできあがった脚本を演じるという、周りのプレッシャーに反応するだけの生き方になる。(中略)第一の創造を他者に委ねてしまったら、あなたは他者によってつくられることになる(p122)

一度目は、頭の中で設計図が作られる。

二度目は、設計図をもとにして物理的に作り出される。

オリジナルになる努力っていうのは、第一の創造「どんな自分でありたいのか」を突き詰めること。

一方、人が作ったルールに自分をはめ込む努力は、第二の創造ばかりを頑張っている状態です。

第二の創造ばかりをどんなに頑張っても、結局、他の人が描いた設計図を一生懸命実現する人になってしまいます。

夢を叶えたいと思って頑張るなら、ちょっと立ち止まって考えてみてください。

今自分が頑張っているのは、「第一の創造」なのか「第二の創造」なのか。

「オリジナルになる努力」をしているのか「人の描いた設計図を実現するための努力」をしているのか。

もちろん、人が描いた設計図を実現するプロセスでも、得られるものはたくさんあります。スキルも身につく。

けれど、どこかで「第一の創造」を頑張らないかぎり、夢は叶いません。

夢を人質に取られて、第一の創造を放棄してしまったら、どんなに頑張っても夢を叶えることはできないんです。

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