ルビコン川を越えて、本国ローマに軍を進めたカエサル。

戦いの始まり。

けれど、ここからの戦いは、これまでの戦いと決定的に違う。

内乱なのだ。

味方はローマ市民。

敵もローマ市民。

この戦いが終わった暁には、また一緒に暮らすであろう人々。

だから、内乱を制するのは、単に軍事力の問題ではなかった。

政治力も勝負を決める要素になった。

軍事力だけであればポンペイウスは稀代の名将だったかもしれない。

が、軍事力と政治力の合計となればカエサルの右に出るものはいなかった。

今回も、印象に残ったエピソードを中心にご紹介していきましょう!

カエサルは、ギリシアでのポンペイウスとの直接対決に勝利し、地中海のほぼ全域を掌握する。しかし首都ローマでは、カエサルの片腕アントニウスの失政により、兵士の従軍拒否、経済停滞という事態が生じていた。帰国後カエサルは巧みな手腕でこれを解決。北アフリカとスペイン南部で相次いで蜂起したポンペイウス派の残党をも制圧する。その間にも、新秩序樹立のために数々の改革を断行していくのだが……。

印象に残ったフレーズ

言葉の力

この巻を語るのであれば、この部分を紹介しないわけにはいきません。

ユリウス・カエサルが部下の兵士、それも子飼いの部下たちにストライキを起こされたときに、それをいかに鎮めたかを物語った一節。

演壇上に姿を現わしたカエサルは、呼びかけもなく前置きの言葉もなく、いきなり言った。「何が望みか」

兵士たちは口々に、退役させてもらいたい、と叫んだ。彼らも、次に待つのが北アフリカの戦場であることは知っている。それにはカエサルが、自分たちを必要としていることも知っていた。それゆえ退役を要求すれば、カエサルとして、一時金か給料の値上げを約束するとかで、妥協に出てこざるをえないと踏んだのである。もともと彼らには、カエサルが戦いをつづけるかぎり退役する気持ちはなかったのだ。

ところが、カエサルから返ってきた答えは次の一句だった。「退役を許す」

予期しなかったカエサルの答えに、兵士たちの振りあげていた剣は自然に下に降り、やかましい叫び声も止まった。重い沈黙が支配する兵士たちの上に、カエサルの声だけがひびいた。

「市民諸君(クイリーテス)、諸君の給料もその他の報酬も、すべては約束どおり支払う。ただしそれは、わたしが、わたしに従いてきてくれる他の兵士たちとともに戦闘を終え、凱旋式までともに祝い終わった後で果す。諸君はその間、どことなりと安全な場所で待っていればよい」

カエサルの子飼い中の子飼いと自負していた第十軍団の兵士たちにとっては、カエサルが自分たちに、市民諸君、と呼びかけたことがすでにショックだった。

それまでのカエサルは、「戦友諸君(コンミリーテス)」と呼びかけるのが常であったのだ。それが今、もはや退役してカエサルとの縁も切れた普通の市民並みの存在になったかのように、「市民諸君(クイリーテス)」である。カエサルは自分たちを他人あつかいしたと感じた彼らは、従軍拒否もなければ報酬の値上げもない気持になっていた。泣きだした兵士たちは、口々に叫んだ。「兵士にもどしてくれ」「カエサルの許で闘わせてくれ」(p41)

何年もカエサルとともに戦ってきた兵士たちに向かって、「自分たちなしに次の戦いに向かうことはできないだろう」と踏んでストライキを起こした兵士たちに向かって、いきなり「市民諸君」と呼びかけたカエサル。

その一言は、他のどんな言葉よりも、兵士たちの心に”刺さった”んでしょう。

たったの一言で、「市民諸君」と呼びかけることで、ストライキに走った兵士たちを我に返すカエサルの言葉の選択は、もう脱帽するしかありません。

「文章は、用いる言葉の選択で決まる」とも言ったカエサルです。

その最高の一例を自ら示したエピソードではないでしょうか。

自由に生きるということ-弾圧ではなく反論を書く

キケロは、カエサルの寛容の精神発揮を拒否して自死を選んだ小カトーを讃美して、『カトー』を刊行した。この書への世間の影響を心配したカエサルは、『アンチ・カトー』と題した反論を発表する。キケロの『カトー』を発禁処分にしたのではなく、自ら反論を書くほうを選んだのだ。(p201)

カエサルが、友人でありながら政治的には対立していたキケロに送った書簡の一節「何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。」という言葉を思い起こさずにはいられないエピソードです。

自分自身に忠実に生きることが、たとえカエサルへの批判となって現れても、それは自由。

政敵であった小カトーを賞賛した書『カトー』を発刊することは自由。それは、その人が自分自身に忠実に生きたに過ぎない。

けれど、カエサルはカエサルとして、自分に忠実に生き、反対論陣を張ります。

このカエサルの生き方を見ていると、他の人の評価なんかを気にしているのがなんだかちっぽけに思えてきます。

なんと言われても、自分自身に忠実に生きる。

その忠実に生きた結果、何かを言われたとしても、そのときには「自分はこう思うから、こうしているのだ」と反論するだけ。

そうして、淡々と自分の生き方を貫くことに集中する。

「自分に忠実であるかどうか」

毎日、自分に問い直したい質問です。

スポンサードリンク

【コーチングについてのご案内】

コーチングについて、ご興味のある方はこちらまで

新規のコーチングの受付状況

・5月:残1名

・6月:残1名

・7月:残3名

なお、その他のお問い合わせはこちらのフォームからどうぞ!