「賽は投げられた!」

ついにルビコン川を踏み越えたユリウス・カエサル。

元老院からの最後通牒である「元老院最終勧告」を受けて、自らの率いる軍団を首都ローマに向けます。

負ければ単なる国賊。しかし進めば元老院との対決による内乱。

進むも退くも厳しい道をカエサルは進みます。

今回も印象に残ったフレーズをご紹介しましょう!

軍の即時解散と帰国を命ずる「元老院最終勧告」を突きつけられたカエサルは、国賊と呼ばれるのを覚悟で、自軍とともにルビコンを越える。「カエサル渡河、南進中」との報はローマを震撼させ、ポンペイウスと「元老院派」議員の多くが首都ローマを脱出する。間もなくカエサルはイタリア半島を掌握。ポンペイウスはギリシアで迎撃に備える。ローマ世界全域で、両雄の覇権をめぐる戦いの火蓋が切られようとしていた。

印象に残ったフレーズ

自分に忠実に生きる

(カエサルがキケロへあてた手紙より)
わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。(p36)

カエサルは、敵となったポンペイウス派の人々が、戦いに敗れて捕虜になった場合でも、処刑したりそのまま囚われれの身とすることなく、基本的には解放しながら進軍していきます。

敵とはいっても、内乱である以上、ローマ市民であり同胞です。国の統治のあり方をめぐって敵になってしまっていますが。

解放して自由にしてしまえば、もちろんもう一度敵として立ち現れるリスクはあります。しかし、それでもカエサルは、敵の将や敗残兵たちを自由にする道を選びます。

自分が最も大事にしているのは、自身の考えに忠実に生きること。だから、自分以外の人も、自分の考えに忠実に生きることは当然と思っている、と言って。

必勝の状況になってから、この言葉を言い実行するのであれば、たやすいと思いますが、カエサルは自分が勝つか負けるかハッキリしないような段階から、この方針を一貫しています。

自分の考えに忠実に生きる。

もしそれができないのであれば生きている意味はない、もしかしたらそんなふうに考えていたのかもしれません。

迷ったときには、「今、自分は自分の考えに忠実に生きているだろうか」そう問いかけたい言葉です。

不安こそ最大の敵

カエサルによる運河網工事で、補給の道を断たれるのは彼らのほうになるのだった。(中略)備蓄分はまだ充分あったが、人間は、それが実際に底をつくよりも、底をつくことへの不安で動揺する。まず動揺したのが、原住民の参加兵たちである。止まらない出血に似た脱走がはじまった。(p88)

「実際に底をつくよりも、底をつくことへの不安で動揺する」

なんて人の心理をついた文章だろう、と思います。

この「不安」というのは、私たちの行動を大きく制限することがあります。

例えば、このブログのテーマにしている「夢を描いて近づこう」にしても、「夢を描いて近づくったって、できなかったらどうしよう」「仕事を変えても上手くいかなかったらどうしよう」「お金が尽きたらどうしよう」など、キリがないくらい不安というのは湧いて出てきます。

ただ、その時に不安が足元に絡みついて動けなくなってしまっては、きっと何も変わらないでしょう。

「どんどん夢に向かって動いていける人」は、きっと「不安を感じない人」ではありません。「不安は感じるけれども、その不安と上手く向きあう方法を知っている人」なんでしょうね。

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