今回は、「人生をつまらなくする言葉」をテーマにしましょう。

私が、人生をつまらなくすると思っているのは、こんな言葉たち。

  • 平均
  • 普通
  • 通常
  • 常識的に

いたるところに、「平均」や「普通」といった言葉があふれています。

赤ちゃんの時代には、「平均身長」や「平均体重」から離れていると心配され、学生時代には、「平均点」が天国と地獄の分かれ目のようになり、社会人になってからも、「平均給与」だったり、「成績」が平均以上か以下か、などなど。

けれど、私はいつも、この「平均」という言葉の使われ方に疑問を感じずにはいられません。

平均は「許されるライン」なのか?

疑問の最たるものは、「平均はOKとNGの基準になっているんじゃないか」ということです。

「まあ平均は越えてるから、その調子で頑張れ」

「平均以下じゃないか。もっと頑張れよ!」

こんな会話。

平均に届いていればOKで、平均に達していなければダメっていう考え方です。

この考え方は、上にいる人(上司や教師)が、下にいる人(部下や生徒)を、画一的に指導するときに実に便利なものです。どの部下、生徒に対しても、「お前は平均以上」「お前は平均以下」という二択で話すことができるからです。

けれど、そこでは「強み」だとか「個性」だとかいったものは、一切無視されてしまいます。

型としての平均

「ラクで便利な基準」

ともすれば、そんな「平均」の使われ方が多いんじゃないでしょうか。

言葉を換えて言えば、「平均」というのが一種の枠になって、それにキレイにハマるように、私たちを指導しようとします。

いうなれば型としての平均。

でも、私はこういう平均の使い方が嫌いです。

こういった平均の使われ方をすべて否定するわけではありませんが、少なくとも私は、そんな平均とは距離を置いていたいと思っています。

鏡としての平均

もちろん平均が全てダメだと言いたいわけじゃありません。使い方に問題があると言いたいんです。

私たちは、そんなにキレイに型にはめることができるような単純な存在ではありません。

一人ひとりが真似することもできない個性を持っているし、強みを持っているし、反対にどうしようもない弱みも持っています。

平均と自分を比べてみることで、自分の強みや弱み、個性を発見する機会になるのなら、それは素晴らしいことです。

それは「自分を深く知るための平均」とでも言ったらいいでしょうか。

平均から離れていることを問題にするんじゃない。

平均から離れているからこそ、そこに強みを自覚できるチャンスがあり、弱みを認める機会があります。

平均は越えるべき壁でもなく、平均を越えていれば「OK」で下回れば「NG」でもない。

そういった評価を受けることがあったとしても、影響されすぎない。

「自分を知るための鏡」として使うのが、平均に振り回されず、平均を使いこなすってことじゃないでしょうか。

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