私が自分を変えることができるようになったのは、次の2つの言葉を理解できてからだと思います。

「人間は習慣の塊である」

「習慣はすべて後天性である」

一度読めば意味は分かります。

けれど、「読んで意味が理解できる」というのと、「できている」の間には大きな違いがありますよね。

「読んで意味が理解できる」というのは、「ふむふむ。なるほど」という段階です。知識として知っているレベル。

「できている」というのは、それが自分の考えや行動にまで影響を与えている段階。行動として現れるレベルだとしましょう。

難しいなぁと思うのは、自分が「知っている段階」なのか「できている段階」なのか、自分でも判断しにくいということです。

何らかのスキルや、スポーツなど、目に見えて確認できるものであれば、「知っている」と「できている」の区別は簡単です。

しかし、目に見えない、考え方のようなものが、「知っているレベル」なのか「できているレベル」なのかを区別するのはなかなかに難しいように思います。

ただ、自分の経験を振り返って、この2つの言葉を「できている」ようになってから、まったく口にしなくなった言葉があります。それが「知っている」のか「できている」のかを区別する、リトマス試験紙になるかもしれません。

 

まったく口にしなくなった言葉とは、これです。

「自分はコツコツ型じゃないから」

コツコツ型の性格なんてない

以前は「コツコツ型じゃないんだよね」って、よく思っていました。

世の中には、コツコツと努力できる「コツコツ型の人」と「そうでない性格の人」がいて、自分は後者だと。

でも、それは、「人間は習慣の塊である」「習慣はすべて後天性である」という言葉を、知っていても理解していない証拠だったと思います。

どうしてかと言えば、「コツコツと努力をできる人」というのを、「習慣」ではなくて「性格」の問題だと捉えていたということです。

もちろん、性格の影響がゼロだとは思いません。多少なりと影響はあるでしょう。でも、世の中で努力を続けて成功している人たちを見るにつけ、その人達が共通のコツコツ型の性格を持っているとも到底思えません。

だから、性格の影響はあるけれども、それ以上に「習慣」のほうが大きな影響を与える。そして「習慣はすべて後天性である」と思っていたのなら、「コツコツ型の性格」なんて言葉はそもそも出るはずがなかったんです。

今、振り返れば「コツコツ型の性格じゃないから」という言葉が出なくなったあたりが、自分の転換点だったんだなぁと思います。

 

とは言っても、当時からそんなことを考えていたわけではありません。

習慣化アプリの助けを借りながら、読書やブログの習慣化にチャレンジして、失敗を繰り返しながら一つずつ課題をクリアしてきたら、気づいたら完全に習慣になっていたし、「コツコツ型の性格かどうか」なんて発想が消えていた、というのが本当のところです。

性格に原因を求めていたのは、ただ単に便利な「やらない理由」が欲しかっただけなのかもしれません。

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