生まれてから今まで、30年。

この30年間、いや正確にいうと、小さい頃はそんなこと思いもしなかったから、物心ついてからの二十何年間。

とにかく批判されるのが怖かった。

「お兄ちゃんでしょ」と模範になることを求められている気がした。

「いい子だね」と言われるのが嬉しかった。

嬉しかったから、いい子でいつづけたいと思った。

いい子って何だろう。

よく分からない。

けれど、どうやら、言われたことをきちんと守って、人を傷つけたりせずに、勉強とかいうものを頑張っていたら、それは「いい子」らしい。

「人の役に立つようにね」

うん、そうだね。

「いい子」の呪縛

客観的には、きっとずいぶん「恵まれた子ども時代」だったんじゃないかと思う。

問題は、その「いい子でいよう」というのを勘違いしてしまったこと。

「いい子でいなきゃダメなんだ」と思った。

そう思ったら、「無難」なものしか選べなくなった。

みんなが、「そりゃいい」と言うこと。誰からも何の文句も言われないこと。

そんな「無難」を選ぶことが、いつの間にか自分の生き方になっていた。

でも、だんだんそれが「おかしい」と思うようになってきた。

それって、誰の人生を生きてるんだろう。

人から「いい」と言われたことはやって、「やめとけ」と言われたらやらないというのなら、自分の人生って言えるんだろうか。

その頃の自分は、「夢を叶えるんだ」と言っている人たちを見ては、複雑な思いになった。

心の底では羨ましいと思っている。

「自分の目指すものを我慢しない、他の人からの評価に関係なく、生きる」

そんな生き方がめちゃくちゃ眩しかった。

「自分は我慢しているのに、なんであの人たちはあんなに自由にしているんだ」と思った。

「そんな自由気ままな生き方、どこかで破綻するぞ」と心の中でつぶやいた。

いや、本当はわかってる。自分もそうしてみたいんだ。

けれど、そうできないと思っていたから「あいつらダメになるぞ」と自分に言い聞かせることで、「我慢している自分」を正当化しようとした。

それからしばらく、「自分の気持ち」と「正当化」との戦いが続いた。

批判されるより、もっと怖かったこと

「なんで我慢してるんだ。自分の人生なのに。自分の夢を求めて生きたらいいじゃないか」と叫ぶ自分と、

「バカか、お前は。現実を見ろ。夢を叶えるのなんて一握り。ほとんどの人は、好きじゃないことを我慢しながら生活のためにやってるんだ。大人になれよ」と言う自分。

それは、「人からの評価を気にせずに、自分の心に忠実に生きたい」という自分と、

「自分の心に忠実に生きたってメシなんて食えない。ワガママなやつと言われるだけだ」と批判を怖がった自分。

そんなやり取りを何回も心のなかで繰り返したけれど、結局は、自分の心の声が勝った。

批判されるのは、やっぱり嫌だし、できるならされないでいたい、というのは正直なところ。

けど、その気持ちを中心にしてしまって、「人生、こんなはずじゃなかった」という言葉を自分が言ってしまう未来は、それよりももっとずっと怖い、と思った。

そう思って、一歩を踏み出し始めた。

一歩を踏み出して見えたこと

ブログを作った。

イベントに参加した。

少しずつ、おっかなびっくり、自分の心に忠実に生きるようになった。

と言っても、まだまだ道半ばではあるんだけれど。

人からの批判が怖くて、「無難で普通」を選び続けた自分には、今はこう言ってやりたい。

どんな選択をしても、大丈夫なんだ。

「いい子」というのは、「他の人にとって都合のいい子」でしかないんだよ。

人から理解してもらえなくても、本当に好きなら、やったらいい。

何も不安に思うことなんてない。人から許可してもらう必要もない。

信じる道を行くと、最初は何か嫌なことも言われるかもしれない、しばらく一人の時期もあるかもしれない。

けど、そのうちいっぱい仲間ができるよ。

「自分の心に忠実に生きる」と決めたら、同じく、そう決めた人がそこにたくさんいるよ。

世界は、実は、甘くて優しいかもしれないよ、と。